歴代の勅使河原和風
初代 勅使河原和風
勅使河原家の斎と妻(みね)との間に1867年5月13日 勅使河原和風(久次)が生を受け
1896年10月「日本生花学会」を立ち上げいけ花の教授を始める
勅使河原家には昔からいけ花や茶の湯などの芸事が家芸の形で伝わっておりました
中世以降では様々な文化が発展し明治時代にあってもその流れは変わりませんでしたが開国後
様々な西洋文化が流入し人々の間でブームとなる中
初代和風は改めて日本の良さを再認識する事の大切さを感じ「日本生花学会」を主催
華道界で初めて基本の三本枝の寸法を尺度で表しカンに頼る即成教授法を改め確立し
日本の自然美を尊重するいけ花を伝えていきました
いけ花には大きく分けて神仏にお供えするための床の間の装飾への仏花と
お客様をおもてなしする対人花の世界がありますが 初代和風は対人花の世界を追求
道端の名もない花でも立派にいけ花として
日々の生活と心に潤いを与え 人におもてなしする事が出来ると教示しました
そして当時では珍しい花塚を建立し
大正の初期にはすでにいけ花改革の信念があり移り変わる新しい生活にふさわしい
新構想のいけ花を体現する進歩的な考えがありました
二代目 勅使河原和風
二代目和風(順三)は戦後荒廃した日本の心をいけ花で
復興貢献することに心血を注ぎました
「好きな花を 好きなだけ 好きな花瓶に 挿して楽しむ」を
信条に家庭で いけられる いけ花の風流愛花を披露し
特に花や枝の数を規定したり流儀の型にあてはまることを
強いずに楽しむことを大事にしていきました
日本の家庭でも楽しめる いけ花を
世界中へと伝える為の活動にも精力的に取り組み
日本人として初めて国連の場でいけ花を紹介し国際交流の
いけばなインターナショナル創設にも携わっていきました
当時より男女の別なく教養を身に付けるべき
との考えから警視庁警察学校などの
公共機関・民間企業等でも積極的に両性に学びの機会を
開放するなど独自のいけ花芸術を推進していきました
日本全国で行われる文化人の集まりの開祖とも言える
第一回鎌倉カーニバルにも携わりいけ花を展示し
銀座のデパートを中心に日本全国各地で作品を展示し紹介
またいけ花へ対する信念が日本を代表する芸術家や
文豪の方々にも共感され日本画家の横山大観先生からは
直々に米寿記念の会場花の依頼を受けるなど日本の代表とも言える文化人との交流も行ってきました
三代目 勅使河原和風
三代目和風(文秋)は当会が世代にわたり培ってきた
自然美尊重のいけ花の精神と技術を軸として
花と器と環境の調和により構成される環境芸術としての
いけ花を実践いたしました
国内に限らず広く社会と共有し次世代に伝承する事を
可能にする為に当会を公益財団化し海外においても精力的に
いけ花のデモンストレーションを行い
勅使河原和風会のいけ花を披露
米国やインドなど世界各地で勅使河原和風会の考えを
実践する海外支部会員が日本国政府から旭日双光章授与を
受けるなど会員の名誉にも寄与いたしました
またいけ花の業界内だけではなく
アグファやビーエムダブリューなどの広告用作品も手がける
一方 国内で学ぶ会員の為に本部会館のバリアフリー化や
展示スペースの一新など より快適な空間で
研究できるよう2015年に
新たに勅使河原和風会会館を完成させました
四代目 勅使河原和風
2020年10月1日 公益財団法人勅使河原和風会の四代目和風を襲名いたしました
初代からの一貫した考えや伝統は踏襲しつつも
女性ならではの視点を活かした活動を行っております
今日までに警視庁警察学校では5万人以上にいけ花を教授し
いけ花インターナショナル サンフランシスコ ベイエリア支部では三代目和風と
初の親子でのデモンストレーションを行った後も自然美尊重のいけ花を
日本国内のみならず海外へも伝える活動をし
いけばなインターナショナルフェアには毎年作品を展示しております
いけ花の業界内だけではなくイオン母の日ギフトカタログのフラワーアドバイザーや
Mr.Mac(ペットグッツ)等の広告用いけ花と幅広い活動も手がけ
出身地である鎌倉の鶴岡八幡宮では地元文化人により奉納される
昭和13年から続く書画をぼんぼりに仕立て実朝祭に献灯したことから始まった
ぼんぼり祭りには二代目和風から三代にわたり毎年2点奉納しております
自然美尊重のいけ花こそ 本来の日本いけ花の精神であることを信念に
いけ花体験教室や本部教室・花展を通じてその感性を次世代に伝えております